前回の記事を投稿して、そういえば!٩('ᗜ'*)وと、気付いたことがあった。
そういえば!実家の儀間商店(屋号ギママッチャ(店))は昔・・私が小学校低学年の頃(50年ほど前だね)は、はきもの店だったことを思い出した。店の入り口、上のコンクリートに”儀間はきもの店”とゴシック体で書かれた看板があった!
現在はオリオンビールやコカコーラ、酒類、タバコ等の卸屋さんをやっているのだが・・父の最初の商いが履き物店だったとは・・??それも専門店っぽい感じだったと思う。
主に”左右サバ(草履)”(さゆうとは呼ばない、ひだりみぎとよぶ)を売っていた。
普通のビーチサンダル♬
当時はそう言っていたし、今でも年配の方はそう言っているはず。
その名前の由来は・・気になるところだけど・・残念ながら知らない。。。(^_^;
足だから、左と右があるのは当然だし、それがそのまま呼び名となった?かどうかは知らん(笑)(´∀`; )
儀間はきもの店の小さな店の中には、崩れた古い段ボール箱にアメリカ式単位で足のサイズが5文半、6文、6文半・・10文とマジックて大きく書かれて置かれていた、
この小さな島で履き物の需要がどれほどあったのだろうか?
自分の記憶を確認するためにも母に聞いてみた。
(父は10年以上前に他界した)
「本土復帰前後はよくサバが売れたさ〜、お父はオートバイに乗って配達していたよ!」
と教えてくれた。「ふ〜ん、それまではみんな裸足だったわけ?」
母は、しばらくの間、顔を上げて天井を眺めていたが(笑)「ッサン!ウルゥバーサアードゥスージィブィ」(しらん!なんでそこまで自分がしらなきゃならないのか!)と返答された。
どうやら、思い出せなかったようだ・・・うちの母はちょっと面倒くさくなると投げやりに方言で言うところがある(笑)
どうだったんだろうね〜???
そういえば、(また”そういえば”だ)今年は米軍統治下に置かれた沖縄が日本に復帰して50年、沖縄本土復帰50周記念の年だ。
TVで復帰前や復帰後の沖縄が映されているのをみて、そういえば(笑)そうだった!と昔を思い出していた。
小学校の頃、アメリカから配給された粉ミルクが美味しかったのと、ニコニコマークの文房具がもらえて興奮した思いが懐かしい!
お金がドルから円に変わったことも覚えてる。
1ドルが360円だった!一番小さな小銭、1セントでガムは買えたけど、1円では何も買えなかった・・などなど・・・そんな昔の記憶を一人つらつらと思い浮かべていると、なんだか自分がすご〜く歳をとってしまった気がするので、ここらへんでやめます♬
ところで、メインストーリーのひだりみぎサンダルはどこへ行った?(・・ )( ・・)
そう!それそれ♬
このサンダルも、そういった時代と共に歴史を作り、アギヤーサバ同様、色のバリエーションも豊富にそろい、足元を楽しませくれてるようですよ!
終わり♬